浅田写真は好きだ。最初に言っておこう。「浅田家」を見たときは、素直に面白い写真だなあと思ったし、「のんびり」の撮影をしていると聞いて本をめくったときも、とてもあたたかい写真だった。
正直、きつかった。なんとなくの違和感。ひとりの女性の感想。浅田さんの写真評ではなく、鑑賞者によって沸き起こる感情が違う、新しい体験と見え方を書き留めておく。
浅田さんが語る「これが僕の原点」という写真が最初のコーナーに並んでいる。浅田父が撮影した浅田兄弟がモデルの年賀状。ロケハンを重ね、撮影箇所をいくつも回り、最高の1枚を年賀状にする。家族が家族を撮る、それが原点だったのだろう。
浅田家シリーズは、もともとは卒業制作の1枚だったらしい。「1枚しか撮ることができなかったら」というお題のもとに、それまで考えてなかった「家族」が被写体と浮かび上がってきたという。
このシリーズは7-8年ほど続くが、シリーズを終えたときに「撮影と撮影の合間にあった風景」を思い出してもう一度撮影しよう、となった、合間の思い出の写真が良くて、私には一番の作品感があった。写真と写真の間に置かれた小さな写真をお見逃しなく。
次のコーナーからが、足元崩れる系だった…。「NEW LIFE」(の由来が面白いけど)と名付けらたコーナーは、浅田家の幸せ家族写真だ。兄が結婚し、子供が生まれ、その子供が叔父のまあちゃんとしてめちゃんこカワイイ。浅田母は押し花アートの才能を開花させて孫を愛でる。写真芸術家が家族を撮影したらこういうふうになる、というレベルの高い家族写真…と言えよう。たぶんどこかにアートはあるんだろうけど(切り絵の人とか…しらんけど)。
でもって次のコーナーが、全国の浅田家。ここは危険なコーナーだった。家族関係に悩みを持つ人は一発でやられちゃう系である。どこを見渡しても「絆」であった。浅田さんが家族を選び、ヒアリングを重ね、その家族の思い出や状況を一枚に収める。被写体によっては演劇的な要素もある。「アフロのかつらをかぶった家族が神妙な面持ちで縁側に座っているが背景に見えるは雛壇」というやたら情報量の多い家族写真があって、それは浅田さんの解説があって初めて読み解くことができた。展示では、それぞれの家族写真にまつわる撮影と撮影意図は解説シートとしてはなかったようだが、ここはあったほうがいい。解説がなければ表面上のコスプレとしてしか見られない危険性がある。それぞれの家族、裏にあるドラマチックなエピソードを、共有してこそ二度見の写真になると思った。
40代の独身女性友人が「母と来なくて良かった。私はここに映っている家族のような思いをさせてあげられなかったから」とこぼした。そこでハッとした。
そう、赤ちゃんの写真は危険だ。「かわいい孫の写真」が、見せる相手によって凶器になることもある。犬ちゃんや猫ちゃん大好き写真を自慢される何百倍も負の感情を起こさせる破壊力ある。
危険なコーナーといったのは、キラキラが蔓延していたからである。作品の前に立つと「自分と作品」という相対した関係、気にする事もない思考の距離があるものだが、浅田さんの写真はそうではなかった。ぐいぐい来るのである、見る人に。
鑑賞者に家族関係を問うほど、浅田写真はぐいぐい個人的感情に入ってくる。「あちら側になれなかった私と家族」を知り、無理やりにでも肉親を意識せざるを得なくする。すごい、キラキラ写真の威力。たとえ被写体の不幸を下地にしていたとしても、浅田写真は幸福に変えるのだ。
「安定した家族」が一定多数いる福井県においては、浅田写真はかなり好感度で響くだろう。安定した家族とはなにか、という議論はおいておいて。
浅田さんが家族にこだわるのは、原点である父の年賀状写真撮影でもあって、その撮影をした浅田父の来歴が本当の原点ではないかと思った。写真ではなく「家族の絆」の原点である。絆の表現手段がカメラになったのでは(と深読み)。
キラキラ光線にやられて通り抜けた先に、東日本大震災の写真洗浄ボランティアの報告があった。写真というものが紙にプリントされて物理的あったから「助けたい」「渡したい」気持ちがわいたと。もう写真の頃の家族に戻れない人たちがいて、たった一枚をよりどころにして生きていくのが見えて、揺さぶられる。
私の母が財布の盗難にあったとき「お金はいらないから写真を返してほしい」と何度も話していた。亡くなった父と最初で最後に撮影した写真だったから。あのときのつぶやきを思い出した。
最後のコーナーは、これまた浅田家仲良し家族写真、都道府県名物コスプレシリーズであった。このシリーズ続くの?って感じも否めないが、鳥取県の植田正治オマージュ作品が響いたくらいかな。土田ヒロミ氏の砂を数えるシリーズかなと思ったんだけど。オマージュシリーズなら見てみたいかな。
「もうちょっと浅田政志のこれから、を観たかったなあ。家族写真ばっかりだったから」と話したら、同行してくれた、いつも鋭いM女史が「だって展覧会タイトルが Family Photo Tree ですからね」。ですよねー、失礼しました。覚悟がなかった。
最後にもう一度書くが、浅田写真がどうこう言いたいのではない。鑑賞者に自身の家族関係を意識させるほどの経験があり、その写真だった、という新しい鑑賞経験と感情を書き留めておきたかっただけである。
浅田政志写真展 Family Photo Tree
2020年1月25日(土)~3月8日(日)
- 時間:10:00~17:00(最終入場16:30)
- 会場:金津創作の森美術館 アートコア