おそらく15年前からそっとその絵を見続けている、前壽則(まえひさのり)さんの作品展へ。場所もだいこん舎さんと聞いて、それはそれは作品と空間がマッチするであろうと、行く前から想像できます。
10年以上を経て、Facebookでご本人と会話できるなんて思ってもみませんでした。インターネットは作家と鑑賞者を近くしてくれました。
私が知っている前さんの作品は、さくらんぼや柚子、びわなど果物の精密画です。植物もよく描いていて、生き生きとした植物というより、葉や葦を1本、たおやかに描いていました。まるで写真のようにそっくりに描く、という一言で終わる絵ではない。欧州で見かける細密画(ミニアチュール)、ポップに言えばスーパーリアリズムとも捉えられがち、それも違う。前さんの絵、という道を持っている方でした。
お伺いしたとき偶然にも前さんがちょうどいらして、印象的なお話を聞かせてくださいました。初期の頃描いていた(ご本人は「ヨーロッパ風の絵画」とおっしゃっていた)絵から、あるとき(油絵だけれども)日本画のような雰囲気の絵になり、二つを共存させていたとき、ギャラリーオーナーから「あなたは、日本画のようなスタイルで突き進んだほうがいい。ヨーロッパ風のうまいだけの絵はいくらでも描ける人がいるから」と。そこから、今のスタイルに転向したと。
だいこん舎洗心亭に飾られていた作品は、襖絵のような、屏風絵のような印象でした。ご本人も意識して描かれているようです。一対でなければ成り立たない作品もありました。枯れかかった蓮の葉、葦(私には稲体に見えた農業ライターの性)は、わびさびと一言でいえる絵ではない、と。
前さん自身が到達したい域があって、その域に向かって描き込み続けた絵と感じました。上手く描こう、そっくりに描こうとしない心持ち。一見、枯れたモチーフにしか見えませんが、近づいてみると、恐ろしく肉肉しい。20代の作家が描けばみずみずしい生命力かもしれませんが、そうではなく、貪欲な性。
この「域」というラインは、まだ私には分かりません。70歳を前にした作家の今だから描けるのではないかと。年をとらないと良さを受け止められない、そんな作品は必ずあります。私はまだその域を知らず、見えず、良さを思うほど味わい切れていないと自問しました。言い換えれば、年をとればもっと前さんの作品にしみじみくる楽しさが残っているのでしょう。
個人的には、作品は壁にかけてみたい派なので、床の間に飾ってある作品が光ってました。床置きの作品も額縁に入れて掛けてあるともっと違う印象なのでしょう。額縁…、ん?額縁がいいのかしら。だいこん舎洗心亭には壁がなかったのでそれはしょうのないことです。
この日、夕方から友人の酒店夫婦のしつらえによる懇談会もあったようで、なんという静かな贅沢。お酒を飲みながら絵を語り合う、人生を語り合う場だったそうです。
『観のn乗』第1回
日時:2月11日(祝)
展示:12:00 から 16:00(無料)
お話:17:00 から (500円)
懇親会:19:00 (2000円)
場所:だいこん舎洗心亭