【講演会記録】アートドキュメント2017 河口龍夫ー眼差しの彼方 

カワタツの講演会 私的記録を記します。私のメモ書きなので前後の文脈がわかりにくいところもあります。適当に解釈しちゃったところもあります。

対談『河口龍夫と作品の「関係」について』

河口龍夫 × 星野太(美学者・金沢美術工芸大学講師)

2017年 11月12日(日) 14:00~15:00 @金津創作の森

闇は物質ではない。闇は状態であるのか、はたまた宇宙なのか。考えようによってはいくらでも芸術にあてはまる、闇。

見える世界が優先されている世の中。みな視覚に依存しすぎている。それなら見えない闇を見よう、それが最初の動機である。

>闇を閉じ込める作品について
闇の部屋で闇をすくう行為。ある特定の、記念日と、何気ない平凡の日が同化する。その行為を4年間行い、闇を封印してきた。

>ドローイングについて
闇の中でドローイングしたものに色をつけている。
闇の中でドローイングは不自由だが視覚に頼らないという自由を得た。
闇が見えたという意識を持っている。闇の中でも自由にできるのだ。
時間の感覚がなくなる。時計も見えない、時間の制約からの自由。

>星の作品
ホシの写真を窓にはりつけると、透ける。星の部分を鉛筆で塗る。星の数ほど大変。大きさも数も忠実に書き写している。描かないと存在しないことになる。一枚で宇宙は無理。

社会的存在と宇宙的存在の間に芸術が存在できる。宇宙を反転できた。

 

>種子を封印する作品
鉛の手紙の作品 1988年から。郵便はまなざしが届かないところへ送ることができる。放射能から種子を守りたい、未来へ届くものにしたい。こういう作品はサイズを気にしなくていい。
特定の人へ出すのか、不特定の人に見せるのがよいのか、決めかねている。

言葉・時間・生命 京都アンデパンダン展に出品した作品。「関係」という言葉への芽生えだった。1960年70年代の芸術表現においてキーワード。

もの派は、観念のみを作品にする。観念に執着せずに「もの」として独立できるかどうか。
関係という言葉は、自由度が高い。実感としてなにもない。便利な言葉である。
観念と「もの」とは。物質として提示する。コンセプチュアルである。人間の手を介さないもの派。
関係という言葉は、言葉だけであり、実際は無関係。

関係という言葉を使わずに評論をしてくれたのが星野さんだ。指摘にスリルを感じた。
自分の作品が言葉になる。それはとてもありがたいことだ。そうしてくれる人がいてこそ私の作品は残る。言葉にならない限り文明にならない。文化として残らない。
自分の作品を言葉にしてくれる人を大切にしている。私はそれを読み、新しい言葉が出てくると喚起される。言葉にしなかった残らない。次の時代を待たないといけなくなる。

今の作品は情報になる作品を作り出している気がする。芸術の衰退だといっていい。

>へその緒 母と子
観念が先行している。手仕事の産物である。物質を眺める。
「へその緒を描きたい」というと「私を母と疑うのか」と怒られた。

作品とだけ対峙すればいい。何が書かれていないのか。
亡くなった人に限って引用している。批評を見つめなおそうとした。
言葉と人への感謝。その言葉から想像するエネルギーを得たい。

>創作の森
池が使えることを聞いた。作品として何かできないか。
巣箱を取り付ける。僕の芸術を分かってくれる鳥がいる。のぞいたときにトイレにつかったようなあとがあればそれは喜びだ。巣箱はより高いところへ取りつけた。作品を探すことになる。
蓮の種子を鉛で封印した。未来において開花するかもしれない。

関係ー時の睡蓮 2017年 容器・蜜蝋・鉛・種子・硫化カドミウム サイズ可変

作品は劣化する。いい状態で残しておいてくれるなら置いていってもいい。

戸谷茂雄氏の作品が倒れていた。これは風神が雷神を倒したといっていい。作品になった。
倒れて初めて木があることに気づいた。そのために作ったのではないか。

自然が猛威をふるっている。自然を超越しているかのような怒りがある。自然をテーマにした意識が芽生えた。巣箱は建物側には鉛で封印したものを取り付けている。池では木だが、建物に近づくにつれて鉛の巣箱にしてある。人間に近づくと危険だと伝えている。

森のために 2017年 木(巣箱)・蜜蝋・硫化カドミウム(26点)

関係ー鉛の巣箱 1997年 木(巣箱)・鉛(18点)

>石だけの作品
1974年、34歳のときに作った作品。石から石を彫りたいと思った。全部彫ると石になる。想像的になる。これが石彫だ!と思った。作るのに苦労して顔中血だらけになった。石を作る人に怒られた作品。

>ホワイエにある作品
27歳の時に制作。関係を色で表現したかった。関係という言葉がモノになった。

実体と虚像、どちらが大事なのかという疑問に入った。高松次郎と出会って話をしたことがある。数年たって高松次郎から「僕が間違っていた」と謝りに来られたことがある。

この時代、いかに日本の作品を作るのか。とう時代だった。そういうものに向かっている人たちが作家としてつながっていった。世界に向けて発信できる作品を作りたい!という野心があった。

インタリテーション 1967年 合板・ビニール板・アクリル・ボルト・ナット
Work 65-32 1965年 キャンパスに油彩

>人間と物質
中原佑介は国籍ではない、イデオロギーを推しだなさい人である。彼と私の間に共通点がない。中原氏は40通りの関心があり、その関心の広さに驚いた。
1970年の人間と物質展では、「河口は何をやっても人間と物質だからいいのだ」と言ってくれた。
ものそのものに興味がない。金属の物質に惹かれている。私は鳥や魚にあこがれている。それになれないから芸術家になったのだ。

円錐体と四角柱 1967年 石膏・鏡・合板

>涙
物質だが得体のしれないもの。涙には価値がない。涙の質で涙は変わらない。
ローマ時代のなみだつぼを知り作った。

芸術が言葉になるスリル

闇の中でドローイングして光の中で色を塗る。闇の中の淡い水彩がいい。闇でも色が使えるんだという新鮮さ。「そう新鮮」でいいのだ。見る前に書いていたもの。どうやって言葉を与えたのか。
山口勝弘は自分で自分を書く人。論ずる人。するとほかの人が書けなくなる。

かわたつは、私の筑波大学時代の先生です。専攻は違うけれどもよく総合造形チームにお邪魔していました。現代美術に触れられる唯一の専攻で、しかも現役で発表している生身の方だったのです。

私が卒業して展覧会や芸術祭を巡るようになり、一番名前を見かける方だったかもしれません。この展覧会も80を過ぎた方とは思えず、また「闇」「種子」「情報」「評論」など先生の口からきけるなんて思ってもみませんでした。先生の深淵たる思考に触れられて本当に良かった。20代の作品、30代の中原佑介氏とのからみ、今のことなどまるっと見渡せる個展で、大満足。今年のベスト展覧会になりました。

 

 

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