編集って言葉がブームです。まあいい。「行けたら行く」は「ほんとに行く」を発動させていってきました。
朝日、読売、大手の新聞って誰が読んでいるの?ってところからはじまり、マスメディアに対しての違和感を話していました。そこからは次のような話
▼編集という言葉
世間の編集という言葉を広義でとらえてほしいので、こうして外に出て発言している。
芸人のDVDやら落語の仕事やら、雑誌に寄稿したり、イベントやったり、すべて編集だと思っている。そこに世間から思われる編集という意味のずれがある。
▼「のんびり」について
「のんびり」は秋田の良さを秋田外に伝える雑誌。
ステレオタイプの秋田名物ではなく、秋田の人は普通だと思っていることを外ではスペシャルなことだと知ってもらう。そのひとつが寒天文化。ゼリーを寒天にしちゃうお母さんたち。しかし寒天の生産は長野。「棒寒天じゃなきゃ!」というお母さんだけどどこで生産してどんなに大変な作業かは知らない。長野の人は秋田でめちゃ棒寒天が大事にされていることは知らない。そのことに気づいた藤本さんが両者をつなげた。それを記事にした。
寒天に自分のクリエイティビティを表現する秋田のお母さん。その背景にあるものを知る。だけど若者には「また寒天?」といわれる残念スイーツ。しかしこの寒天をメディアを使って広めよう。イベントをやったりした。
ビジョンを実現するために、メディアの力を活用する。どう実現するのかが編集力である。メディアは必ずしも大手ではない。都会VSローカルでもない。自分自身がメディアになること。
そのために編集という手法を使い、言語化できるようにする。
寒天の場合は、寒天文化を広めるためにイベントをする。広めるためのメディアがある。それに合わせて編集することができる。
この仕事を引き受けたのは「日本一少子高齢化が進んでいるから」。どうやって生きていくのか、日本の未来がここにある。「のんびり」は、NON ビリ ビリじゃない、というWミーニング。
現在はウエブメディアを立ち上げている。紙メディアで優秀な編集者がウエブになると途端につまらなくなる。参考にしているのは若い人がやっているウエブメディア。「のんびり」は、マニアックなところを取り上げたが、ウエブではあえてスタンダードを載せている。きりたんぽやなまはげの情報で、上質な記事が上位に上がらないから。ググると変な記事ばかり上がる。きちんとした情報を載せようというアーカイブを考えている。実はこれは行政が一番考えなくてはいけないこと。
ディレクションで気を付けているのは経験させること。自分がこれだ!といってガンガン引っ張るのではなく、相手にさせるということ。最初から無理だと思わないこと。
編集でもディレクションでも数字で成果を出すこと。
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「何の仕事しているのか分からない」ってよく言われます。たぶんこの仕事はじめてからの悩みです。でもなんかほうぼうから仕事くださいます。ありがたいです。それは知らず知らずに「編集」と「ライター」いう仕事をしていたんですね。藤本さんからそれが編集だよ!って励まされた気がしました。しかしそれだけでは喰えないのも現状。
私の場合は、情報を編集して的確なメディアで表現するディレクターです。紙媒体から出発したけれどもそれがラジオでもテレビでもよかったんです。そうそう、私はメディアの勉強をしていたんだった。思い返せ10代。
カウベルでは紙でもウエブでもイベントでもなんでもしていますが、世間では「何かに強い」でなければいけないようです。でも違和感があって、それは藤浩志さんのいう「もやもや」。地方では強さよりもまんべんなくが求められるように思います。
一つの情報を持ち上げてイベントまで作る、チェコアニメがそれだったのかな。カウベル場合、その軸と分野は「アート」であると思っています。アートの分野なら理論武装がっちり、武器も豊富にそろえております。
ライターという意味も、いろいろとらえ方があるなと思いました。私は依頼を受けて取材に回り原稿を書くライターだけど、自らネタを作って取材原稿を書くローカルライター(というのかしら)もいるし、フリーペーパーだと営業兼ライターもいるし、新聞だと記者さんもいる。
藤本さんの話は共感できるところもあれば、そうじゃねえと思うところもありました。そんなもんです。しかし数字は大事です。数字だけではなく、クライアントや読み手の満足度も評価してほしい。最後はやはりお金だったり反響の数値だったりなんですよね。
「のんびり」は、TABIYUKI CAFEさん(丸岡)で手に入りますよ。
追記
新聞はこの先どうなるか、との新聞記者さんからの問いには
今の感じでは廃れていく。なぜなら新聞社自体が古い体質で、上の人から受け継ぐ仕事を粛々としているだけだから。しかし新聞を読む層は確実に減っていて、スマホでの閲覧が主である。スマホの中でどうしていくか、どう存在感を出すか。世の文明にはあらがえない。シェア7割の人たちにどう見せるか。
なかなか痛い返しでしたが、思っていたことを当てられた感もあります。組織的なところはどうしようもない。福井新聞社さんもただ黙っているだけではなくて、D刊出したりFU出したり。メディアを変えて発信はしているのだけど。ここでも本質はどこにあるか、ユーザーは何を求めているかが鍵ですよね。単純なことなのに深くできないもどかしさがあります。