【聴講記録】「米谷氏と語る横山操」@ニホ

予定していた予定がなくなり、ぽかっと時間が空いたので、ノンアポイントで飛び込んでいきました。
通常お会いしない方ばかりでかなりアウェイ感ありました、、、最近アウェイ活動が多いです。

もとい、米谷さん登場。その前の講演は聞くことができなかったので、私は質問が重なってしまって申し訳なかったです。それでも米谷さん、丁寧に答えてくれました。

●横山操さんとの思い出

横山操奨学金は、先生の自費(慈悲ともいうものかもと私は思いました)
夜のバイトをしていた私に、バイトをやめて絵に専念するようにくれたものだった。
加山又造VS横山操の構図では、事象だけでいうと、女子は加山へ、男子は横山へというゼミになった。
加山は女子に人気。
花嫁修業の一つに日本画というものがあった時代。
横山は小学5年で油絵に触れていた。
日本画を最初から学んでいたら、あの大胆なストロークにならないだろう。
「看板を書くデザインの仕事をしていたから、あのような大きなキャンバスにダイナミックに描くことができたのではないか」という西村学生員の考察がおもしろかったです。
最後亡くなるとき、1本の木も描いていない草原の絵を見せてもらった。描かないんですか?と聞いたが、描かないと話していたと思う。その後10日後に亡くなるのだが、その10日間のあいだに1本の木を描いていた。横山先生にとって1本の木、ひとつの川は、もしかして自画像だったのではないかと思う。

●米谷さんの絵について
東京にいるが、住んでいる感覚と暮らした感覚は違う。僕は暮らしたことがないと思っている。
常に傍観者。誰かと密接になにかしたことがないと思っている。

エレベーターの絵は、実は横山先生をお見舞いに行くときのエレベーターだった。
エレベーターでは、人は無意識に振り向く。その場所に行ってしまえばだれもがそれを無意識でやってしまうこと。機械的な動き。

現実を肯定も否定もしない、するほどの覚悟がない自分がいる。だからこそ距離を置きながら絵を描くのだ。

絵を出展して落ちることはある。しかし自分が一生懸命描いた絵は、賛否が分かれても賛同を得ることがある。公募展に出して落ちた絵だが、別の公募展に出したら賞をもらえた。

●今の絵描きについて
絵になるモチーフを探して絵を描いている。
学校や塾では絵の描き方を教えているからテクニックはついても、上手になっても、いい絵にならない。内容を描いていないからだ。誰かに倣った絵はだめだ。まねをするなら、真似の100以上を超すこと。

加山は絵がうまかった。絵がうまいから、すでにあるものを超える力を持っていた。うまい人は審査員の好む絵を描くことができる。描いてしまって、入選すればあとは自由に描けばいい。(ということを分かってやってるところもなかなかの加山さんですな)

最後は画壇、公募展の私的見解でした。その辛辣な突っ込み、そのとおり!のご指摘だったかと。画壇のうんぬんかんぬんの構造は、半世紀実は変わってないようです。

「米谷氏と語る横山操」

平成29年9月16日(土)17時30分~18時30分
美術館喫茶室「ニホ」(福井県立美術館正面左側)
米谷清和(多摩美術大学教授)
西村直樹(県立美術館 主任学芸員)
佐々木美帆(県立美術館 学芸員)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください