私が福井に戻ってきて、就職した雑誌社で最初に取材をした作家さんです。
ギャラリーみちくさを立ち上げたときのことでした。
でも、G2でお名前や風貌は知っていたから、初めてではなかったのかしら。
まあどうでもいい、今はそんなこと。
訃報を聞いたとき、角さんの声が聞こえました。
「あー、ごめん、りこちゃん、俺、死んじゃったみたいだわ わはははは 笑」
風貌も強烈ですが、声も強烈、耳に残るというか、思い返すくらいの声ですよ、角さん。
既知のライターさんから「賑やかなことが好きな人だから、賑やかに送ってあげたい」というメッセージがとどき、確かにそのとおりだな、と思ってその言葉をお借りしてそのまま知人に知らせました。
話は変わります。
そういえば、角さんが結婚されたと聞いたとき、あんまりびっくりしませんでした。若い奥さんってところには「男ってのは…」と思いましたが。
なぜならその頃見ていた作品に、角さんの気持ちが表れていたから。
厚生病院での展示を見にいったとき、なんだか作風がいつもとちょっと違う感じがしました。
とがってない、攻めてない。どちらかというと「かわいらしい」。丸くなったの?この可愛らしいオーラはなにかしら、ともやもやしていたら、どこからか「角さん、好きな人がいるそうよ」と。
恋をしているのね、角さん、可愛いのは、角さんの気持ちなのね。作品に出ちゃったのね。
それからすぐに結婚されたと風の噂で聞きました。
お通夜は予想通りとても賑やかしくて。知り合いの作家さんや知人が集まっていて、または「え、なんでここに?」という繋がりもあったりして。
「だから、俺が呼んだんだって」 とまた角さんの声が聞こえてきました。
歩くたびに知り合い合うものだから、いったいどこに祭壇があるのか分からず、あ、二階なのね、って思って二階に上がると、またそこでひととおり人にお会いして。やっとこさ、角さんの前に立てたときは、「角さん、遺影写真が若いよ!」の感想の私。たぶん、出会ったころの写真、だとしたら20年近く前だけど?
棺の上にかけられていた布?が、角さんらしい、あの、いつもの、ダイダイのやつ。私のイメージは赤色なんだけど、グリーンでした。それでも角さんの模様。
式場には、小さいサイズの作品が飾られていました。私は壁に掛けられていた、左から二番目のネックレスが角さんに見えました。赤い珠がついているもの。
1994年のドローイング?デッサンも展示されていました。「……角さん、めっちゃうまいやん!」
がははと笑う角さんは、心はこんな感じで丸くて優しくて繊細で、とても繊細でそして可愛い。それがまたにじみ出るドローイングでした。ずるいよ、隠し持っていて。
会場におかれたファイリングに、私が月刊ウララで書かせてもらったアートの記事がありました。2008年だから、私が独立してからの記事だけれども。自分でいうのもなんですが、すごくいい記事だった。私、きちんと書いてた、角さんのこと、伝えてた。それが素直に嬉しかったです。角さんを伝えられていたことに。
休耕田を作品で埋める仕掛けも、今でこそ普通にあちこちで見られるけれど、何年も前に個人で立ち上げて協力する若者がいて実現しちゃうパワーがあり。イージーポップアートショーは、なにげにスケールも大きかったですね。
「若い子たちが結婚して子どもができると作品作りも出来なくて、しばらくできなかったけど、また再開できてよかったわ~」と青空の下で笑って語ってくれました。角さんがしていたことって、アートシーンのリアルだったと思います。
大きく泣くこともできなかったのは、信じられない気持ちも大きいのですが、泣いていることよりも、笑って集まって、角さんをいじる話をしたり、そんな風なお通夜を望んでいるように思えたからです。
角さんの笑い声と、「死んじまった!」と照れて笑って、少し悔しそうな顔をしている角さんを妄想で思い出す、そんな暑い日の夜でした。
ありがとう、楽しかったよ、角さん。
命日に、名前付けて偲びましょうかね、みなさん。