現代美術への誘い 丸山コレクション トーク@E&Cギャラリー

現代美術への誘い 丸山コレクション

2015年6月13日~7月12日

@E&Cギャラリー

ギャラリートーク コレクター丸山治郎氏を迎えて

 

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草間彌生が紛れていますよ。照明の反射が残念、直しておいてスタッフさーん。

 

トーク内容をサイトウリコなりに意訳して書き留めます。
私がトーク後に聞いた内容も追記、感想は (  )で付けておきます。

コレクターになるためには
コレクションの目的を持つこと。自宅に飾りたい、資産にしたい、いつか資料館を作りたい、など。

1931年うまれの私は、戦後の人である。戦後の美術は、新しい美術を模索していた時代。戦後といえば、反戦、体制への反発、という表現が主である。

私の実家は田舎の大きな家だった。日本画がおいてある蔵があって、私はその蔵から絵を出してくるのが仕事だった。田舎は冠婚葬祭に絵を飾ったりするもの。そういうときに日本画を選んでもってくる役目が私だった。小学5年か6年生までやっていた。私のコレクションに日本画、日本画風が多いのはここが原点にあるからだろう。

上京すると、日本画ではなく現代版画が評価を受けていた。
美術の中で一番の最先端は版画だった。棟方志功などがその例。
国際展に出品するためには美術の歴史をしることが大事。

(最先端の技術に、自己表現をのせる、ということ。美術と社会の流れの中にこの作品がどんな意味を持つのか、歴史的な文脈の中でどう影響を与えるのか、与えているのかが国際展では評価されるのです。乱暴な私見ですが、日本がこの部分に弱い、内省に走り、文脈として取られられない作品が多いため、舞台に上がれないだと思わなくもないです。)

コレクションをするには版画が一番手頃だった。しかし版画の美術館がないので自分で作ろうと思った。そのために勉強した。1960-70年代が勉強の時期だった。版画を集めているうちに、現代美術が好きになったパターンである。

そのうち、片岡珠子の絵に出会った。表現、色彩、形が今までの作家と全然違った。当時は65,000円で購入したが、今は1000万になると画商に言われた。私は資料代が欲しかったから売ろうかなと思ったら、家族から反対された。この絵は、正月になるたびにわが家にかけられていた絵で、家族にも愛着があった。
絵は売買されると残らない。しかし誰かの手元にある、だから残っていくのだと思う。

もとい、版画が新しい方向性を持っていたので現代美術が生まれた。

高松治郎の作品「この7つのもじ」
リーウーハン まるのみの作品とかくのみの作品 リーの作品は、まるとかくがあるから作品が成り立つ。またリーは最初、版画の刷りを版画を知る後輩に依頼した。しかし後輩は断った。それは版画とはいえない刷りを要求されたから。リーは自分で初回、二回目を刷り、発表すると高い評価を受けた。するとその後輩がやってきて、三回目は自分に刷らせてくれといったという。
私が言いたいのは、物を描く、作るということは、強い抵抗があって成り立つものだということ。最初の依頼は版画の常識では考えられない刷り方だったがゆえに後輩は抵抗して断った。しかし評価されれば抵抗はなくなる。

版画でなければできない表現というものがある。
高松も、リーも、ピカソも、版画家ではなく、版画もするし、インスタレーションもするし、彫刻もする。それが美術家だ。版画でしかできないことがわかっているからだ。日本は版画家という版画のみをする方もいるが、世界からみると特異な見え方をされるだろう。

アンリ・ミショーは小さい油彩画しか買わない。自動筆記をしている彼は、頭を真っ白にするための薬を飲んで、自ら描く実験をしている。

いい絵と、手元におきたい絵は違う。
150号の絵を買ったが、家には入らなかった。

2つの作品を1つに額装にもした。団野雅子さんがその例。(本人同席)
チラシにも採用された奥村彰一さんの作品は、最初中国人が描いた絵だとおもった。聞くとお母さんが中国人で、本人が中国へ行き、影響されたと。(本人同席)

小山田次郎は決断を要した作品。この絵が本人の絵の中で一番いいと私は思っている。

>質問 画廊を巡って購入をしているのか?(質問は私。トーク後補足で聞いたことも追加しておきます)

今はほぼ毎日画廊を回っている。木曜日は文化財資料館での仕事があるのでそこに通う。

作品の買い方
生活に影響を与えないようにきっちり分けていた。買うときは、予算を超えないように、無理をして買わないように戒めた。どんなに欲しい作品でも、予算を超えている、2回分のボーナスを必要とする額なら、手は出さない。それを買ってしまうと、しばらくは他の作品を買えないし、

手元に無ければ、ギャラリーと交渉をすればいい。10月に支払うから、分割にして欲しい、など。大事なのはきちんと期日に払うことだ。

たいていはギャラリーで購入をする。作家のためになり、ギャラリーのためになり、私のためになるから。大事なのは個展で買うこと。作家は個展に合わせて作品を仕上げてきている。最高のものが揃っている。

買って後悔する作品もある。間違って買っちゃった作品もある。どういう作品か、それはだいたい「飾っておくと飽きてくる作品」

(作家から買うのではなく、ギャラリーから買う。これがアートを経済的にも育てるということなのだと思いました。個展は、新作が揃っていると嬉しいです。新しく、前向きに何か創り出そうという意欲が見えるから。でも私の好きなラインではなく違う方向に進んでいる場合もあります。見守るしかない。いいなとおもうのは、新作と同時に、それに対比あるいは同調するような旧作、代表作も展示してあると、おお!と思います。作家が手放せない作家蔵やその日のために借りてきた個人蔵が見えたりすると、個展も深みがましますよね)

>作家と作品のエピソードが多いが、作品を購入する前に知ってから購入するのか、それとも知らずに購入するのか?

たいていはあとで知る。あとで作家を知ろうとするから。最初は第一印象で買うようなもの。ただアンリ・ミショーの場合は、もともと展覧会や図録を見ていた。作品は見ていたからだいたいはわかっていた。

リーの作品は、飾っていたら、なんでこれをコラージュしたんだろう、なんで作ったのだろうと、疑問がでてきた。何かのおりに出会って聞くととても面白いエピソードを教えてくれた。(書くと長いので私に聞いてください)

 

管さんと川俣さん。
管さんと川俣さん。

管木志雄について
コルクの作品を出している。カネコアートギャラリーで購入した。アクリルの額装は、実はこちらでしたもの。カネコさんが強力な両面テープでびっちりはっつけていて、額からはがすことが出来なかった。それを額装屋さんが丁寧にはがしてくれて、作品を取り出し、アクリル額装にした。アクリルのほうが作品より高かったよ(笑)。

管はもの派を正当に受け継いでいる最後の作家。物の異質さ、異相を考え、作品にできる。
作家を目指す人には知っておいてほしい。素晴らしい作品を作る作家は、自分のこれからを言語化できる人だということ。わきめもふらず、若い頃に作品を作ろうが、考えや作品を言葉で語れるようになってほしい。高松もそうだった。河原温のように毎日日付を書いていく作業を見つけ、それは永遠に作品になり続ける。

(河原温の作品が、それがいいとも悪いとも言えませんが、永遠に続く作品に私は憧憬と戦慄を覚えます。河原さんは自らの作品を言語でも説明できる人なのでしょう。そういう表現や技法を見つけない限り、他の方法を見つけないと、抜き出ることは出来ないとと丸山さんはおっしゃっているのだと思います。コレクターの方から聞く、自己と自己表現の言語化は重い言葉でした。中世の宗教画とは違って、作家が何を思ってなぜ描いたのか言えないと作品として成立しない、評価されないことも多々あるからです。でも、たぶん何も考えてないんだろうけど、ね。それはそれで有りなんだけど、人の心を動かすかどうかは一握りと思われます)

 

>執筆活動について
中村正義に対して誤解があったので、本を書いた。
戦後美術の断面という本は、研究書という名目で作ってある。

たいてい作家は略歴をのせるが、それは作家にとって都合の良い略歴である。公立から出す場合は不都合は消されてしまう。略歴を払拭して面白いカタログを作れないかとおもったのが出発。
図版は名刺サイズ、再版無しの300部という内容を明記して、著作権の問題を回避した。

今は藤田嗣治をかいている。あまりにもでたらめな生涯像で、本人もいい加減に書いているからだ。

>川俣正について

この作品は、ベネチアに出た翌年に購入した。エディションが入っているが、この作品はリトグラフではなく、リトグラフの上に、川俣が付け足していっているので実は版画ではない、といえる。エディション分を作る予定だったようだが手間がかかるので途中で辞めたようだ。(現物見ると手間が分かりますが、その手間がとても良いです)
私はベネチアのマケットも持っている。それは川俣がベネチアへの資金にしたかったからだった。ベネチアのときは、たにあらたさんがキューレーターだったとおもう。
水戸芸術館での展覧会の時も、マケットを貸した。すると川俣が驚いた。こっそり購入した作品もあるので僕が持っていると知って驚いたのだろう。

 

リーさんと高松さん。
リーさんと高松さん。

>高松次郎について

高松のシリーズはいくつかある。単体シリーズはいくつかある。この作品にはサインがないけど、どこかずれちゃったのかな?

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私は絵を描いているわけでもないし、美術関係者でもないし、でもって評論家でもなく。みなさん、紹介に窮するのですが、「たんなる美術好きのおばちゃん」でございます。そのように紹介してくださいませ。肩書きなく入り込んでも受け入れてくれる旧知の方がいて嬉しい限りでした。

丸山さんは、時間があったらもっと選べたのに、と悔しそうだったので、また次回やってくれることを期待しています!

 

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