ストックホルム(スゥエーデン)で音楽で、ダンスと聞いたら行かなくちゃでしょう。期待大。
とにかく若さほとばしる舞台でした。
セーレンプラネットという場所がよかったとおもいます。プラネタリウムで星にまつわる公演があって。
決して用意された舞台があるわけではないけれど、空に満天の星があり、そこに一部映像が流れて、踊る人と映像を比べながら見てたゆたう。なかなか参加できる経験ではないです。
2人の女性パフォーマーが出てきて、踊りつつ、途中で観客に手を伸ばして舞台に出るように促しました。
朗読は、村上春樹「世界の終わりとハードボイルド」。家にあったはずだ、うーん、どんな話だった忘れたけど。
マイクに向かって提示された言葉を発して、それが音楽になって重なっていく流れ。
入場時にいただいた「毛糸」を隣と人とつなげて、1本にして、それをパフォーマーが体に巻いていく。
最初の導入はおどろおどろしい音だったので、隣の子どもはちょっと怖がっておりました。
公演後の質疑応答では、「演奏者たちにとっての境界線とは?」といういきなりの直球。いい質問だわ。
私は「タイトルのMORIには、日本の森やストックホルムの森、どのような森を思い出していたのですか?タイトル意味を教えてください」と質問しました。
回答は「森(自然にできた)、杜(人工的に作られた)、護、メメント・モリなど意味はいろいろ含んでいます」と。ここもっと聞きたかったな。
境界線 というキーワードでのダンスと音と表現、そこと並行してあるのか分からなけどMORI という言葉。ちょっともりもりだったようです。そうだったのか。
詰め込みすぎて最後焦点ぼけた印象もあります。
ただ、ダンス公演という慣れない舞台に対しては、丁寧に解説があったほうがより理解が深まると思いました。鑑賞後の満足度が違うと思うのです。それでいて、私はこんな解釈していたんだけど、と感想が持てるというか。なので「MORI」について主催者から話が聞けて良かったと思いました。
境界線 の意味も、今回のグループが提示する確固たる定義みたいなものがあって、想像を超える表現でドーンときてほしかったかな。境界というのは、記憶と同じく、あいまいすぎるし、それだからこそ見る人にとって解釈をゆだねてしまう便利な言葉だからです。そこはもっとグループ内で討論してひとつの境界線という言葉に向かっていく一体感があるといいとおもいました。
一方では、ストックホルム(スゥエーデン)という遠い国で活躍する福井の女性がいて、そのために公演者が一緒に回ってくれて、BIWAKOビエンナーレや21美で公演もしているなかでの、福井での、プラネタリウム。
それにしても福井市が主催する夢アートでの公演。もうちょっと「告知」を徹底しても良いのではないですかね、夢アートさん。
公演に認知をしつつも、その個人に告知をゆだねすぎて、告知は知らん顔というのはどうなんだか。夢アートってなんなのよ、というのはこういう姿勢にもマイナス評価が集まっている気がします。
多くの人に見てもらいたかった公演だったゆえに、それ以外でも全体の告知不足がもろもろ残念な気がしました(夢アートにしぼるとね)
プラネタリウム公演は面白かったです。また福井で公演を!