地震のことで、なんともなしに思う。これが天災で良かったということ。不謹慎かな。
どこかの国が攻撃してきたわけじゃない。テロが起きたわけじゃない。核爆弾が飛んできたわけじゃない。
目には目を、ということで反撃しよう!とか、やっつけちゃえ!とか、武力行使で報復、という流れにはなってない。
国やお役所や東電を責めればいいのであれば、それでいいと思う。
総理も、官僚も、責められる、そのための存在でいいと思う。(計画停電を霞ヶ関でも受け入れてほしいな)
被災をしていない地域の人が恨めしい、羨む、となるのであれば、甘受しようと思う。
天災は、誰にも責められない。むしろ、天災だと受け入れる、だから立ち直れるのだと思う。誰かを恨んで生きるよりもいい。天が災いをもたらしたなら、天に祈るしかない。そう、祈ることしかできない。
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数日前のテレビで、地元で商売をしているおじさんふたりが、被災後のお店を片付けていた。そのときのインタビューで、おじさんは「こんな被害はここだけええ。東海とか中部とかで地震は起きてほしくない。あっちが起きたら、日本は終わりだ。あっちが機能しているから、日本はやってけるんだ。こっちの被害でよかったんだ」と話していた。おじさんは、東海地震が起きたら日本が大変だ、という想像力で話しているんだ。思いやりを超えた話だと思う。おじさんは日本を思いやっている。
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私は、正直、被災した方に「がんばって」とはエールを送れない。簡単には使えない言葉だ。
身内が流され、家が流され、街が崩壊していく様子を目の当たりにして、すべてを無くした人に、すべてを持つ人が何の声をかけられよう。「私が、テレビに写っているすべてを無くした彼女、だったら」という想像、容易にできない。想像できる範囲を超えている。想像力を超えている。想像することを、試されている。
地震でも、事故でも、子どもを失ったことを想像する、それだけでも気が狂いそうになるのに。現実に失った人に寄り添える自信はない。その悲しみを共有できるのは、自分が同じ体験をしたときだ。同じ体験をした気持ちになろう、なんて、おこがましいと思う。
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先日行ったセミナーの講師のひとりは、阪神大震災の被災者の方だった。仮設住宅暮らしを転々として、まともな「家」を持って生活できるようになったのは、8年後だったという。今回の震災がそれ以上にかかることは、誰の目にも明らかだ。
募金も軽々しくできない私。募金を「継続」していくことが、これからの支援。そう、「その後」が大事。
大学時代の友人が、福島の郡山にいる。あいだに別の友人を通して無事を知ったが、無事を知らせてくれたその友人からのメールが印象的だった。「生きていてよかった」。
当の本人は「放射線を落とすために入るシャワーなんて、人生初!」と、くだけたメールが届いたけれど。
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普通に仕事して、子どもの世話して、ご飯食べて。そのリズムを崩さずに進もう。がんばるのは、私たちなんだから。
今回のことは、天災と人災が重なっているんじゃないかな。
まずはそこを混同せずに分けて考える必要があると思う。
じゃないと、いろんなことが前に進めないと思う。
予想しなかったことが起きたのだから、予想をこえた事故が起きるのも当然なんだろうけれど。東電のことは、地震後、あらゆる手段を考えて、できる限りのことをしていると傍目には思うのだけど。事故だ責任だといっても、現場で命顧みずに作業している人たちがいる。それには感謝したい。
という言葉も、私が福島にいないから、当事者じゃないからいえるんだって思われても仕方なく。
地震がおきたら、貴女のところが心配よ、本当に。
現場で作業している人達には、もちろん感謝すべきだし、誰が悪い、誰の責任だと言う話でもないと思う。しいて言うならば、責任は東電だけではなく、大人たちにみんなあると思うな。もちろん、私たち一人ひとりにも。
これまでに原発震災を国会で訴える人もいたし、地震の予測をしていた人もいたのに、なぜこうなったか。それはまさしく、想像力がかけていたんだと思う。そういう意味では、原発震災は天災ではなく、私たちが起こした人災なのでは。まずはそこを認識しないと、本質は見えてこないと思う。私たちも、当事者なのだと(被災者ではないけど)
白か黒かではなく、「もっと知りたい、もっと教えて」という意識の改革は早急に必要で、すべきことがたくさんある。そこにこそ想像力が不可欠だろうなと思います。
あ、うちは海抜高16mくらいあるらしいです。
ちなみに敦賀市と福井市は直線距離にすると40kmくらい。
原発震災は天災ではなく、私たちが起こした人災なのでは。まずはそこを認識しないと、本質は見えてこないと思う。私たちも、当事者なのだと(被災者ではないけど)
そうだね。私も仕事柄「この仕事の、本質ってなんだろう」って思って案件をむきあってます。
もとい、エネルギーを作るということ、原発と生きるということ、を自覚した東電原発。原発がある県の人はみんな自分のとこのことのように感じていると思う。感じないほうがおかしいか。想像力から、その自覚へ。
プルトニウムがね、自然界には存在しないもの、それを作り出した人間なんだ。その点では人災だと思う。だからといって東電を責めていいもんじゃない。恩恵受けて電気使っているものね。
逆に東電については、会社としてのトップのふるまいに注視しているよ。がんばれ副社長。